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           メール・マガジン

      「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第193号       ’04−02−27★

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     人生思いのまま          

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●長生きなんかしたくない

 

なんて罰当たりなこと、言っちゃいけません、と女房民生観音は厳しい。

だからヒッソリ呟くに留めておりますが、私は大真面目。 見回しては、

 

ただ年を取っただけ、賢さや慎みに欠け、人を助けたり楽しませること

を全くしない高年者ばかり、、とも呟きますが、逆に自分がどう映って

いるか、知れたものではない。 ひどいヘマをしないうち、早くいなく

なるのがお互いのため、、

 

 

と書き出しが暗いのは、実際少々暗い気分だから。 友人の一人が卒然、

逝ってしまったのです。 渡米してそのまま定着、最近は季節のカード

を送ってくるだけの付き合いになっていたO・S二郎君。

 

昨年末のは、封筒上の差出人が Mr. & Mrs. なのに、カードの署名は

奥方一人分。 だから、それに気付いた、彼に何かあったんじゃないか、

気懸かりだ、と返信したわけでしたが、、

 

先週、封筒差出人奥方、というのが届き、透かすと中身は小さな角封筒。

そうか、やはり、、 覚悟して取り出すと、果たして葬儀社調製の告別

カード。 何とか年は越したが、そこでついに、だったか、、

 

早速万年筆にインクを詰め、お悔やみ一筆。 たまに手書きも悪くない、、

が、彼にこんなの書かされるとは、、無情。 振り返ると、あいつにゃ

いつも先を越されたっけ、、 思い出に耽りました。 これはその延長、

どうか悪しからず。

 

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●お前、変わってるよ、と言われる私

 

にしては珍しくウマが合った彼。 でもなきゃ、遠く隔たっていながら

半世紀もの間、仲が続くわけが無い。 むろん<親友>ではなく、社会

に出た後訪ね合った回数、食事を共にした回数、数えてそれぞれ1桁台。

 

しかしいつも心にヒッカカル奴、しかも手の届かない奴。 私がしたい

と思うようなことをどんどんやってしまい、嫌みなほど高いところから

his ペースで話しかけて来る、付き合うには努力が要る、気に障る奴。

 

 

思うに彼は自学独習の人。 興味の抱き方は時に子供っぽいが、いつの

間にやらどこかで必要な知識や技能を獲得してその道のオトナになって

いる、癪に障るタイプ。 私はエンジニアを<志して>ワセダに入った

が、そこで出会った時彼はすでにエンジニア<だった>、の差。

 

 彼の流儀は独特で、傍目には我が儘、自分本位。 学生としては勤勉

 でなく、黒板や友人のノートを(私のリコーレフ8300円に対し)

 5万円のキャノンで撮り、そのネガを長尺のままプロジェクタにかけ

 ては一夜漬け。 変に甘ったれで、要領のいい奴、、

 

 ゼミナールも別だし、教室では(174号に書いた通り)私はいつも

 教壇真下で爆睡していたので、親しくなったのは HiFi 道楽を介して。

 ちなみに私が初めて手に入れたテレコは、彼がキットから組み立てた

 お古のアカイAT−1、オマケの3M製テープ3本付き1万円也、は

 当時大卒初任給1ヶ月分相当。

  

 それを受領すべく訪ねた彼の家は(未だ存命だった我が父のボロ工場

 の偶々すぐ近くで)破れ畳のあばら屋。 異様に巨大なスピーカー・

 ボックスや裸のアンプ、各種コードや各種工具、、実験室的散乱ぶり。

 

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その後知ったのは、彼の非標準的家庭事情。 幼少時両親が離婚、兄は

父親と共に去り、彼は母上と二人暮らし。 だが、窮乏の中、彼の知的

興味のための支出を母上が惜しんだことは決して無かった、由。

 

鉄道模型に始まり、次ラジオ、その次カメラ。 ねだれば何でも買って

もらえる、しかも一流のホンモノが。 偏愛、溺愛、ではあろうけれど、

特殊英才教育的。 願いは必ず叶う、の自信を漂わせる男になりました。

 

実は彼の<自学独習>ぶり、以前111号に書いてありました。 以下

その部分の抜粋、<友人>が彼です。

 

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1960年代早々渡米し、エンジニアとしてシカゴに住み着いた友人に、昔

訊きました。 移ってから、戸惑ったとか、馴染めなかったことは?

「いや、何も。 こうだろう、と予測していた通りの連中だったよ」。

 

どう予測したの? 「すべきことは手を抜かず徹底的にする、ってこと」。

それが分かったのは? (彼は私の Hi-Fi 道の師匠ですが、学生時代)

「秋葉原で米軍払い下げのジャンク(使える国産パーツが昔は無かった)

を漁って、使い余りはバラして色々<研究>したもんだけど、

 

<こうしなきゃ>ということはすべて必ず<そうしてあった>からね」。

なるほど、そういう連中なんだ、とバラすたびに確信が深まったという。

人間性もカウンター・エンジニヤリングできるわけです。 

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一を確実に押さえれば、十にでも応用できる。 眼前の事実を受け容れ、

論理思考で組み立て、そこから得た推論を他の事実と照合して検証し、、

つまり Rational Process を実践していたんですな、彼は。 

 

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●昭和32(1957)年春卒業、

 

孤軍奮闘の父を見かねてボロ工場に飛び込んだのが運の尽き、毎日16

時間労働。 少しオカシクなりかけていた時、彼と久しぶりにバッタリ。

 

するといきなり「俺、アメリカへ行くんだ」。 反射的に、自由だなあ!

幸せだなあ! 羨みました。 が意外にも、「いや、幸せじゃないから

行くのさ」。 え? 「日本にいたんじゃどうにもならない、、」

 

<どうにかなること>を父親と一緒に出来る、キミは幸せだよ、と彼は

言ったが、それが足枷なんだぜ私の。 で、向こうへ行って何するの?

「コンピューター、、」。 ふーん、、 それで何するの?と切り込め

なかったのは、<それ>が当時は余りにも縁遠いキカイだったから。

 

 <電子>とは言えない<リレー計算機>の部品を私が手がけたのすら

 その数年後。 オフィスでは未だ手回しメカ計算機が稼働していた、、

 

 

スポンサーの会社で働きながら彼はイリノイ工科大学に通い、「上司の

ベトナム人がえらく優秀、、」など書き送って来たり。 こちらは未だ

ガチャン!のタイム・カードなのに、彼の職場では「セクションの扉を

磁気カードで通り抜けるたび、どこで何時間、と自動的に記録積算され、

人件費としての自分が部門別にに配分される。 もちろん、

 

コンピューターで、、」、なるほど<計算機>。 やがて、例によって

<いつの間にか>、彼は得意の電<気>回路知識を電<子>に発展させ、

インバーター電源の特許を取得、、

 

それを採用したのが南米某国の国有鉄道、山坂に強い電気機関車動力用。

往年の鉄道模型大好き少年ついにホンモノを動かす、の図。 やれやれ、

物語的展開、と言うべきか、、

 

*   *

 

まさに「人間は思う通りのものになる」。 それは彼の生活の隅々まで。

即ちシカゴ市内、ニレの大木が並び立つ住宅街、「築100年、だから

住みやすい」と彼が言う石造アパート、その1階が住居。

 

各種真空管アンプ、各種スピーカー、名器ズラリ。 次々切り替えては、

まあ<音を楽しむ>より<音を試す>彼、、 相変わらずの物狂おしさ。

 

そして2階がオフィス兼設計室、究極の職住近接。 30年後流行った

<ファブレス>を、1964年すでに実行していたわけでもある。 <営々

たる>部分は他人にさせ、、 要領の良さも相変わらず、でした。

 

恋愛結婚の奥方とは「ね、S二郎、、」、「うん、F子」。 ママゴト

みたいだったが、たしかに子供は作らず、最後まで<子供っぽい彼>で

あり続けました。 尤も近頃、そんなの珍しくもなくなったが、、

 

*   *   *

 

彼におけるコンピューターは純粋仕事用、私生活ではアンチ・ネット派。

メール交換しようよ、と何度も誘ったが全く応じなかった。 業務でも

資料の授受はファクスかクーリエを使う、と。 

 

何を(たとえば、エシュロン?)恐れていたのか知らないが、<すべき

ことは何でも徹底的にやる>連中の国で長くハイテクに携わっていたの

だから、そりゃ用心深くもなったろう。 その辺も訊きたかったが、

 

彼の来日はいつも過密日程。 最後、ワン・ビット・オーディオのコン

ソーシアムとやらを母校で催すために来た時も、でした。 その音質の

素晴らしさを彼は電話で熱心に語ったが、耳の衰える年齢で今更、と私。

 

より良きを求めて止まぬ彼の精神構造、それがエンジニア魂だったのか、

単なる子供っぽさだったのか、今は解きようが無くなりました。

 

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●本当に役立つもの、使えるもの

 

はタダで手に入る、と嘯いていた彼。 英語は学生時代、アメリカ文化

センターに通い詰めてマスターしたと言い、いわばカタカナ風。 私を

励ましていわく、「場面に適った単語を、タイミング良く、<らしい>

イントネーションで投げ付けるんだ。 大丈夫、通じるよ」。

 

 

たしかに困りはしなかった。 何せ私の<先生>はアル・ジョルスンや

エセル・マーマン、、 これ、どこかに書きましたっけ? だから当然、

レコード屋漁りはアメリカ旅行の重要目的。 

 

153号オマケ写真<シカゴの虹>のキャプション、<友人>は彼です。

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、、幸い<現地化>した友人がいたので工具や部品、ついでにレコード、

と買い物先を案内してもらった。 、、、どんなLP? ラグタイム! 

そりゃお前、音楽じゃないぜ。 じゃ何? まあ、歴史、、だろうな。

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冗談言うなよ、お前さんが好きなクラシック、それより100年も古い

んだぜ、、てなやり取りがもう出来ないのが残念。

 

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誰の説だったか、60代は<老春>、頭も体もシャッキリ、懐も淋しく

ない、友人たちも元気。 仕事から解放され、家族への責任も軽くなり、

時間が自由に使え、、やたら楽しい。 ところが70代になると、、

 

アチコ痛み、医者に色々禁じられ、物忘れが増え、意欲も低下してくる。

友人たちも同様、だから誘っても気安く応じて来ない、どころかポツリ

ポツリ哀しい知らせが、、の様変わり、だそうで。

 

たしかに、今年(私は早生まれ、同期の多くは去年)70才、となるや、、

の<哀しい知らせ>、しかもその一番手が彼、とは。 ほかにもガンを

患っているのや臓物を取り外したのがいるというのに、、

 

いや、彼らしく<先を越した>、と評価すべきか。 しかし、そこまで

しなきゃ気が済まなかったのかい、キミは? 程々ってことが無いんだ、、

そうか、だからあの国に適応できたんだな、、 

 

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長生きしたくないのにこればかりは思い通りにならず、暫くは永らえて

しまうであろう私、少しは人様のためになるよう、そしてヘマをしない

よう心がけるのみ。 となると、そのためのツール Rational Process

を授かったのも天の配剤、まことに有り難い仕合わせでした。  合掌

                          ■竹島元一■

    ■今週の<私の写真集から>は、 ★終着駅★

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